書くことは好きだけど、他のやらないといけないと思っていることに時間を割くので、自分の気持ちを文字にする行為をしばらく後回しにしてきてしまった。
書かなくても身体が死ぬことはないけど、書くことで自分というものを認識できるような気がしたので、こうして文字を重ねてる。
それが引き起こされてるのは最近の目覚ましいAIの発展のおかげだと思う。
AIが発展したからこそ、人間が考えるべきことややるべきことを”万能なAIと比較して考える癖”が少しずつついてきたから。
私は最近統計の勉強がてら統計検定準一級対策を進めているが、わからないことは現段階でそれなりに優れているChatGPT o3に聞くし、わからなくてムシャクシャしてる時に文字を打つ気力もないので画像をそのまま入力して、問題の解説をお願いしたりしている。
そんなことを繰り返していると、自分はAIをトレースしてるだけだと錯覚(実際は錯覚でもないが)して、とてつもなく無駄な時間だと感じるので、これは必要な行為なのかの確認をその度にしている。
自分なりの結論としては、
質問側の知識が乏しいと、明確な問いを立てられなくて、60点ぐらいの回答しか得られないから。
つまり、疑問質問に対する明確な問いを立てられるようにするための修行だ。
と思ってるが、あんまりしっくりはきてない。
明確な問いを立てる必要はあるのか。ざっくりとした質問をしても、何度かキャッチボールしてると、「そうそうそれそれ」な方向に進んでいくので、そこまで困ったことはないから。
当たり前の結論だけど、その人が何を大切にしてるかに尽きる気はする。
1つの疑問に立ち向かい続けることに人生を使っているなら、疑問に対する回答だろうし。
人とのコミュニケーションに生きがいがあるなら、より楽しく話せることだろうし。
さあ自分はどうなんだろう?
これが嫌いでこれが好き。それを認識して、発信できる人になりたいな。
寝付けずに書き出したこの日記。さすがに深夜3時を回ったので眠たくなってきた。
そろそろ寝よう。
頑張りすぎると 書くこと=時間がかかる 行為になってしまい、書くことそのものが億劫になるので、頑張りすぎずにたまに書いていこうと思う。